9月、私は野鴨の東京公演を見に行った。
ずいぶん前の話となってしまうが、本は買ったものの読み切れずに迎えてしまう結果となったので、今回は完全に舞台を見ての感想を残しておこうと思う。
まず、まずとにかく大々的に言わせてほしい。
ヘドヴィクのことを一番に考えてあげられるやつは誰もいないのか?
みんなどこか他人事で、結局自分のことだけな人たちの集まり。
ヘドヴィクだけ、唯一完全な被害者なのではないか。
物語はグレーゲルスが発端となって広がっていく。
彼は正義病といわれている通り、嘘もけがれもない完全な真っ白を求めているような人間。
またそれを人に押し付ける、めちゃくちゃやっかいなやつ。
父親ヴェルレが基本的に保身のために動いている人間なので、あんな父親だからこんな子が育ってしまったのだと思うとある意味グレーゲルスも被害者だとは思う。
体裁を保つために子供を利用するような親のもとで育てば、こんな風になってしまうのかもしれない。
そんな彼が良かれと思って暴いたエクダル家の真相。
そのせいでエクダル家はぶっこわれてしまうわけだが、私はどのみちヤルマールがあんなでは崩壊していたのでは?と思った。
癇癪もちでうまくいかないとすぐに周りに当たりまくるめちゃくちゃなやつだし、娘にまでご機嫌取りさせる始末。
ギーナは「昔は悪いこともしていたけど…」みたいなこと言っていた。いや今もやばいって。目覚ましなよギーナ。
人が人を好きな気持ちにケチをつけたくはないが、いったいヤルマールはギーナに何をしてあげられているのか?と思うくらいにはなんもしない。
妻と娘は質素な生活、お金が十分にあるわけでもないのに自分は贅沢にバターをたっぷり使う。そのくせ仕事より昼寝が大事だし、そもそもギーナが仕事してくれているに近い。
マジでヘドヴィクはなんであんな父親のもとでこんなまっすぐな明るい子に育ったのだろう。血がつながっていないとはいえ(どっちか不明といった言い方だったけど)、実の父親もあんななのに。
ギーナが嘘をついていたのはそれはそれで対処されるとしても、もし自分がギーナだったらヤルマールに文句言われてもイラついてしまう気がする。だって働いてるのほぼギーナじゃん。ヤルマールはなぜあんなに被害者ぶれる?
しまった。このままではただのヤルマール叩きのブログと化してしまう。
とにかく、おのおのどこかで自分かわいさというか、自分大事みたいなところがある登場人物の中で唯一人のために動ける子だと思ったのがヘドヴィクだった。
あの子だけは常に人のためを思って動く子で、本来ならいちばん救われるべき存在だと思う。
しかし、エクダル家は悲しい結末を迎えてしまう。
事が起きてから皆悲しんだり恨んだりすることでヘドヴィクのことを思うが、それぞれができることいっぱいあったよね??と私は思った。
それぞれが被害者のような素振りを見せるが、(まあさすがにグレーゲルスはやってしまった感あるけど)それぞれヘドヴィクに対して加害者的一面があるのを忘れないでくれよ、と感じていた。
おそらく見た人で色々意見が割れそうな内容だったが、私はとにかくヘドヴィクの不憫さに悲しみを抱いた。
自己中心的な大人たちに振り回された子供。そんな感じである。
ぜひ皆さんの受け取り方も教えていただけたら嬉しい。